この度、禅フォトギャラリーは 4月9日(土)から5月11日(水)まで、中国の写真家・莫毅「80年代 Part II: 莫毅 1987-1989」展を開催致します。

莫毅(モ・イー、 1958-)は、1982年から独学で写真を始めます。当時の莫は望遠レンズを用い、率直な撮り方で写真の真実性と自己の表現を模索していました。1990年代に入り、莫の作品にはパフォーマンスの要素が強く現れてきます。天津胡同の路地の壁での「胡同の写真」の展覧会をはじめ、棒に固定したカメラを用いて地面から雑踏を往来する人々の足元を撮る「犬の目」、カラー写真によるフォト・コラージュ「符號城市」など、伝統的な写真の手法から離れて制作するようになります。2000年代には写真によるインスタレーション作品を発表するなど、30年以上にわたって写真による多様な表現を提示し続けています。

禅フォトギャラリーでの3度目の個展となる本展では、1980年代に制作された莫の初期作品を、1987年を分岐点に2期に分け展示します。2015年4月7日から4月22日まで開催された第1期では「風景」と「父親」を展示、第2期となる本会期においては「騒動」(1987)、「1m, 我身後的風景」(1988-1989)、そして六四天安門事件直後に撮影された「搖蕩的車廂」(1989)シリーズをご紹介します。

“1970年代の終わり、中国では文化の大きなうねりが起こり始めた。86年、ロックが出現し、89年、中国人はみな腐敗した政治体制を倒すことができると思っていた。80年代は純朴でひた向きだった中国人が、混乱と不安定を経て爆発へと向かい、最後には血を見た時代だった。そしてその後、再び静寂へと戻ったのである。(中略)........ 87年の中国は単純でひた向きな状態から、落ち着きのない状況へと変わりつつあり、みな苛立っていた。”

ー莫毅

1987年になり、莫は初期の率直なスナップショットの手法から離れ、より実験的な創作に挑むようになります。それは莫が、自己表現を偶然性に頼ることに耐えられなくなり、ツールや時間、場所などの制限を受けずに自由に制作したいと考えたからです。また、それまでの望遠レンズを用いる撮影では現実の一部を捉えることに留まると感じ、主体以外のもの、いわば環境や背景を見放すことに強い疑問や否定がありました。そこで、彼は初めての実験プロジェクト「騒動」(別名:我虛幻的城市)に着手、行き交う人々を多重露光で写し、都会生活の疎外感を表現しました。

「機関銃が続けて弾を放つようにシャッターを押し、前へと進みながら撮ったものだ。同じフィルムに十数回露光させる。それは自分の感情と街の風景がフィルムの上で一体となった跡なのである。」と莫が語るように、このプロジェクトは自然界における偶然性に制限されず、自らの制作動機や要望に強く頼る試みにより得られた結果です。

「1m, 我身後的風景(「1m、後ろの風景」という意)」は、カメラを後ろ襟の部分に置き、レンズを後方に向け、5歩歩くごとに1回シャッターを切るパフォーマンス「歩く方法」から生まれた写真シリーズです。莫は自身の姿をその写真の隅に写しとることで、莫自身もがその憂鬱な空気の中の一人であることを表現し、天安門事件直前の中国社会に漂う窮屈な空気を記録しました。また、天安門事件後に乗車したバスの車内を撮影した「搖盪的車廂(揺れ動くバスの意)」にみられる、硬直した雰囲気と不安定さは、当時の中国社会や莫の心境が反映されています。

莫は、全くの独学で写真技術を学んだにも関わらず、写真に対する価値観を覆す作品を多数発表、写真の記録性を芸術表現へと昇華させ、独自の目で作品を作り続けてきました。莫の写真は中国のように変化し続けています。とりわけ、初期の自然主義的な作風がより表現的に、当時の中国社会に生きるリアリティを写し出す作品へと劇的な変化をみせる80年代における莫の創作活動は、その後数十年の莫自身の写真表現の礎となったという意味でも、中国現代写真の先駆であるという観点からも、より大きな注目に値すると言えるでしょう。

本展覧会にあわせ、写真集『莫毅1983-1989』を禅フォトギャラリーより刊行します。莫毅、写真家北井一夫氏、発行人のマーク・ピアソンによるテキストを日本語、英語、中国語で収録しました。ぜひ展示とともにご高覧ください。

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